02 独立創業の決断

独立創業の決断

私は高校を卒業後、熊本市の眼鏡店に就職いたしました。商いに必要な接客が苦手で店頭に立つことは、社会人になる最初の試練でありました。子供の頃から緊張するとうまく話せず、お客様に声がかけられず悩む日が続きました。

それを救っていただいたのが、勤務先の社長の熊本弁でした。お客様との会話に接遇基本用語など、全くなく、熊本弁で会話が弾み、意気投合して、商いがなりたつ。田舎者で不器用な私にとって、これなら私にもできる、社長のマネをしようと心に決めると緊張もとれ、接客できるようになりました。

しかし販売実績は上がらず。なさけない自分を社長のご家族から可愛がっていただきました。気がついたら、本店の店長を任され、毎日は充実し、苦手な接客は大好きになり、職場結婚をし、子供にも恵まれ、幸福な毎日でした。

そんな昭和四十八年十一月二十九日大洋デパート火災発生、こともあろうに、部下が焼死。この人は誠実な人柄を見込んで、私が説得し入社させた人でした。葬儀に参列し弔辞を読みおえて、彼のお母さんの顔を見たとたん、私の幸福な日々が申し訳なく退社を決意しました。辞表提出後は仕事が手につかず、自分をとり戻すのに試行錯誤いたしました。
家族は勿論、多くの方々に相談し、その人達の協力を得て、独立創業の決断をいたし、振り返れば、自分の弱さを助けてくれた人達との出会いがあることに感謝し、今日の幸福をかみしめています。