第十話 「独立創業は県庁近くで」

第十話 「独立創業は県庁近くで」

創業店は県庁近くと決めていました。理由はメガネをかけておられる方が同じ建物の中に県内で1番多くいるのが県庁だからです。
 職員の皆さんは近くにメガネの専門店がなく困っておられる。当時、専門店は下通と上通にしかなく県庁からは遠くて不便でした。そこで職員さんにとって最も便利なメガネ店になりたいとの思いがありました。
 次に県庁は県民の誰でも知っています。県庁近くのメガネ店として印象に残る。さらに既存の商店街と比べて未整備で家賃が安い。創業店としてベストの立地だと確信しました。
 予想は的中し、1号店(2年後に東パイパスから県庁通りに移転)はシンボル店、本店としての業績を創業以来維持しています。
 店は、鎮西高校時代の同級生で世話が行き届く藤山勲君のお世話でした。仕事を犠牲にして奔走してくれました。
 わずかな貯金と身障者厚生事業資金を資本金としました。合志町役場の上山登思文さんのご指導でした。
 事業計画書は本を丸写し。数字は鎮西高校の同級生で税理士事務所にいた岩岡憲一君が作ってくれました。何度も書き直しているうちにその気になり自己満足、成功したような気分になりました。
 家主の奥村さんご夫妻は心配して店に立ち寄っていただき、床のワックスがけ、窓拭きをしてくれ、清潔で感じの良い店になりました。
 いよいよ営業開始です。親戚、同級生、友人、知人、メガネの必要な人を2千人探す目標を立てました。県庁の職員録を基に職場訪問をしたり、自宅まで開店のご挨拶状をお送りしたりしました。
 商店街と違って人通りはありません。嫁の静江は、毎日県庁へ顧客のメガネのクリーニングサービスに出かけました。宮崎から呼び戻した弟義一は、県庁の出先にお邪魔して訪問販売を始め、県内を回りました。
 30歳の横着盛り、無鉄砲。店は将来の多店舗展開見越して有限会社としました。
 開店は昭和49(1974)年2月1日。最初のお客さまは鎮西高校の恩師、上田貞雄校長先生でした。きっと開店祝いのつもりだったのでしょう。必要のないメガネを買われたのだと思います。