第二十三話 「社名変更し組織運営へ」

第二十三話 社名変更し組織運営へ

新入社員の入社式を兼ねて毎年、開かれているヨネザワグループの経営方針発表会

平成4(1992)年4月に社名を「メガネのヨネザワ」から「ヨネザワ」に変更しました。
 個人商店から脱皮して企業経営の運営手法を組織的に構築する必要性を感じていました。
 眼鏡業界に入って30年。脇目も振らず必死に頑張って年中無休、自ら先頭に立って接客し、率先垂範こそが社長の役目と信じて陣頭指揮を取ってきました。
 社内では売上額、接客数ともトップで「俺に続け」と旗を振り、さぞや周囲の社員の皆さんは私の働く姿を見て、息苦しく感じていたのではないでしょうか。
 平成になって働く概念が崩れていくようでした。風潮として少しでも楽して儲[もう]かる手法が話題になり重宝がられ、日本人の働き過ぎが非難されました。理解できないことでした。
 ところが社員が200人を超え、みなさんの顔を覚えきれなくなりました、私の管理手法に限界がきていたのです。ヒト・モノ・カネの管理を組織運営に移行していく決意として社名から「メガネ」を外しました。
 店の売れ筋にも変化がありました。メガネの販売比率が徐々に低下し、各店ではコンタクトや補聴器などの販売に力を入れるようになっていました。
 店頭に立って接客することをやめました。初めて社長室をつくり、社長業に専念しましたが、しばらくは脱力感から戸惑いもありました。慣れて、外部との折衝も増えていきましたが、本当は今も社長の真の仕事が何なのか分かりません。
 平成になって業界の外部環境も大きく変わりました。昭和の時代は個人商店が競争相手で、手の内も分かり戦いやすかったのですが、平成になると全国チェーンが主流となり、出店競争・価格戦争は激化する一方です。
 わが社が九州でシェアナンバーワンを維持し、地方の眼鏡店としてお客さまのご支持をいただいているのは、個人商店から組織運営への移行がうまくいっているからではないかと思っています。
 いずれにしても自らの未熟さが露呈し、社名を変えることにより、時代の波に乗り発展をともくろみました。が、結果は社長の私は成長せず、社員の皆さんの成長のおかげで、全国大手に負けることなく優位に業績を上げていただいています。