第四十七話 「足代わり 杖、自転車、車」

第四十七話 「足代わり 杖、自転車、車」

左足が不自由な私には子どものころ杖がありました。杖さえあれば不自由なく行動できました。杖は子どものけんかにも役立ちました。犬からよく追いかけられ怖かったけど杖があれば追い払うことができました。
 小学生の時は杖に頼りましたが、中・高校は杖の役目を自転車が果たしました。合志から鎮西高校まで16キロを自転車通学。当時、大津街道から外れると舗装道路でないので大変ではありましたが、歩くことに比べると、精神的に楽でした。
 今振り返ると、毎日よく続いたなと感心します。たまには汽車通学をすることもありましたが、自転車と要する時間は変わりませんでした。
 働きだしてすぐ、寺原自動車学校で教習を受け、松橋試験場で免許をとり、行動範囲が広くなりました。昭和37(1962)年、18歳の時です。同年代では一番最初に免許をとったのではないでしょうか。
 車の免許をとり行動範囲が広くなりました。仕事に便利で営業活動が県内一円に広がりました。当時、職場で車の運転ができる人は2人だけ。貴重な存在でした。
 足の不自由な者にとって、車は格別の意味があります。健常者には理解できないでしょう。人には多種多様な悩みがありますが、当事者にしか分からない複雑な問題があることを、お互い思いやることが必要だと感じています。
 車のおかげで行動が苦になりません。九州は日帰り圏、どこでもすぐ行けます。
 3人の子どもたちが大学進学の関係で東京、長野、大分にいたころ、夜中でも心配ごとがあると、すぐ夫婦2人で車で飛んで行きました。親バカぶりに子どもたちはあきれていました。信州などは、何度も車で行ったので、私たちにとってはふるさと気分です。
 わが社の出店戦略にしても九州一円、車を走らせ、自分の目で足で体験して実感できることが多々あり、立地場所を決める際にとても役立ちます。
 車は即、行動できる時間を自分でコントロールできます。会社に運転してくれる人はいますが、まだまだ元気。自分で運転します。運転手さんを助手席に乗せて、私が運転することの方が多い。はた目を気にしていろいろ言う人もいますが、元気なうちはぜひ運転させてもらいたい。