最終話 「お願いするしか道はない」

最終話 お願いするしか道はない

「わたしを語る」を書くのに当初は戸惑いました。が、自らを振り返るよい機会をつくっていただいたと思っています。
 書いていると気付かされました。一生懸命に生きてきて、手柄話があると思っていましたが、何一つありません。周囲の方々に協力していただいて、今に至っていることにあらためて気付かされました。
 生まれてすぐ小児麻痺。母の必死の看病で命をつなぎました。小学生の登校では、歩くのがきつくてもう限界だと何度も振り返ると、うまい具合に馬車が来て乗せていただいた。
 中・高校は先生方にお世話になりました。住み込みだった大宝堂ではご家族に親身になって指導していただき、今日があります。30歳でご恩返しもできないまま退社し、独立創業させていただいた。
 創業後は妻はもちろん、弟夫婦の犠牲の上に仕事を進めてきました。母や姉たちも支えてくれました。親戚は特に力強い味方でした。
 鎮西高校の同級生は皆さん、自分のことのように喜んで応援していただいた。お世話になった友人、知人の顔が目に浮かび感謝しきれません。
 忘れてならないのは同志として働いてくれた社員の皆さん。安い給料でよく我慢して、わがままを通していただいた。
 創業期は給料が払えない月も。展示会ではメガネを無理して買っていただいたり、ご家族や友達に押し売りみたいなことをお願いしたり。社員の皆さんに肩身の狭い思いをさせました。
 早く立派な会社にして、給料も高くして、皆さんの働きに報いるように努力しなければなりません。どんなに売り上げが上がっても、働く人たちに満足感、働きがいがなければ会社の存続意義はありません。もっと社内に目を向けて福利厚生の充実も図っていきたい。
 競争競合の激しさがうらめしくさえ思われます。小売業の世界、少し油断すると足元をすくわれ取り返しのつかないことになります。事業を継続発展させることの難しさを痛感しています。それでも安定成長するため、やっぱり社員の皆さんにお願いし、周囲の方々に頼ることになります。
 長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。