第十九話 「同業者押しかけ営業できず」

第十九話 同業者押しかけ営業できず

右往左往の末、商店街から離れた所にある現在の島原店

長崎県への出店は昭和59(1984)年、島原から始まりました。
 天気の良い日は熊本市水前寺の本店社長室から、島原の普賢岳が見えました。島原では熊本のテレビやラジオが熊本以上によく映ります。熊本に親近感を持った方も多いのではと思い、島原を選んだわけです。
 当時、スーパー旧寿屋の島原店は商店街の中心にあり、テナントでの出店をお願いしましたが、空きスペースがなく出店できませんでした。
 やむを得ず、展示会方式で催事の折にだけ販売させてもらいました。寿屋島原店から約1キロ離れた商店街の一角に寿屋系の専門店ビルがオープンしたので、2階に入居しました。
 ところが開店当日、地元の同業者の方々が押しかけてきました。開店は認められないの一点張り。突き上げられたのでしょう。専門店ビルの家主さんは近くの喫茶店を提供すると提案されました。仕方ありません。喫茶店を少し改装して再開店する羽目になりました。
 今、考えても何で営業できなかったのか、理由は分かりません。専門店ビルは1年もせずに全テナントが店を閉めることになりました。当時、大型店を規制する大店法の影響もあったのかもしれません。
 全国どこの商店街でも、大型店の出店を拒み続けていました。対抗して協同組合方式によるショッピングセンターが全国で誕生しました。
 今は逆に大型店を誘致しているところが多い。ところが大型店が去ってしまえば商店街は集客力をなくし、さびれていくようです。つくづく小売業の難しさを感じます。
 長崎県には、現在11店舗と多くありません。かねてから親しくしていた貞松豊二郎社長のメガネ店が各地にあり、競合をしたくないので出店を控えていました。
 その後、貞松社長は本社を東京に移し、株式を店頭公開をされて、ジュエリーを主力に全国展開されておられます。メガネ部門は少しずつ縮小傾向にあるようです。
 一方、わが家の次女夫婦は長崎市で暮らしています。夫は市内で小児科医院を開業しています。次女は長崎大学医学部付属病院の眼科医です。長崎と深い縁ができたことでもあり、今後は積極的に店舗展開を図っていきたいと思っています。