第三十三話 「城北幼稚園を運営」

第三十三話 「城北幼稚園を運営」

昭和三十八年四月一日城北保育園、園長は平井綾子さんで開園。二年後の昭和四十年四月一日城北幼稚園、園長は平井賜さんで開園しておられる、創業者平井溜様ご夫妻。ご主人の溜さんは泗水、奥様の綾子さんは合志のご出身。私と郷里が同じで親近感があった。

創業当時、清水町は新興住宅地として人気があり人口が増加し待機児童が多く保育園や幼稚園を設置して欲いとの地元の要望に応えて平井ご夫妻が開園しておられる。園の運営は認可事業で簡単ではない。社会的使命を果たすために安定的運営が大前提であり運営法人に土地と多額の寄付があり正しい運営が継続できることが確認されて初めて認可される。公共的事業であるから当たり前である。
 平井さんは2000坪の土地を個人の借入によって確保し法人に寄付されている。建物及び運営費は法人で借入し認可を受け開園しておられる。好景気の波に乗り運営は順調であった。平井溜さんは若い時から能力もあり夢追いかける方で、他にも事業をしておられた。平成になりバブル崩壊、不況の波をかぶり、いろいろな資産の担保価値は半減どころか更に下がり、銀行からの保育園と幼稚園の事業継続のための融資が受けられず、私に相談に来られた。私は園の運営は素人、賜さんの長女、山口悦子さんと面談した結果、ご両親の意思を引き継いで一生懸命頑張りますとのこと。

又、園の先生方とも面談し優秀な先生方ばかりであった。
 ご近所にお住まいの方々の園の評判もよく、お引き受けすることとなった。運営資金の問題が解決すると園は生き返ったように活気が出て先生方も元気に子供達に接し園は更に充実した。資金難で建物が古く危険な状態であった倉庫を遊技場の園舎として早速建て直し、しばらくして教室の雨漏りがあり老朽化した建物を現在新築している。完成が楽しみである。
 園の運営を担当している妻、静江は熊本市幼稚園協会の会長を仰せつかり、微力ながら毎日走り回っている。幼稚園の仕事がこんなに多忙とは思ってもいなかった。
 しかし、地域にお役に立てることであれば、元々働き者だし頑張れ頑張れと云って励ましている。