第五十話 「不自由な左足に支えられて」

第五十話 「不自由な左足に支えられて」

生まれて間もなく小児麻痺にかかり、左足は細くて冷たく自由に動かなくなりました。それにひきかえ、右足は筋骨逞しくて太く温かく、左足を無意識に守っています。
 左足を守っているのは右足だけではなく、体のすべてが不自由な足を守るようになっています。物心ついたころ、いつも左足を悔やんでいました。こんな足はないほうがましだと真剣に悩みました。
 しかし、世の中にはいろいろな障害がある方たちがあらゆる分野で活躍しておられます。文化・芸術の分野、スポーツの世界、政財界などで健常者に負けず劣らず、むしろ個性として強みにしておられる姿をよく見かけます。
 直接お目にかかって話したこともあります。パラリンピックでは選手の晴れ晴れとした表情に感動し勇気づけられます。こんなことを繰り返している中で、自分にもできることがあるのではないか、既にできていることがあるのではないかと考えるようになりました。
 丈夫な右足だけで歩いていると思っていたら、実は、細い左足が右足の一歩一歩のすき間を軽く支えていたから右足の丈夫さが生きていたのです。左足は右足に申しわけないと思いつつ、歩くのに邪魔にならないよう小さな力を振り絞って必死で歩いていたのです。
 心に気付きが芽生え、身体的障害が少しずつなくなり、心構えが変わっていきました。いつの日にか、左足を大切にしている自分に気付きました。役立たずの恥ずかしい左足が実は体の中で最も一生懸命頑張っていることを、ことあるごとに自覚させられました。
 とんでもない心得違いをしていたのです。左足に申し訳ない。私は足の障害より心構えに障害があったのだ。生活も仕事も、事業に対する熱意も、私の細く冷たい左足が一生懸命支えている。このことに気付かなかった自分が恥ずかしいとさえ思えました。
 心に支配された人間社会にあって、すべての人に大切な役目がある。頭が良いとか悪いとか、金があるとかないとか、背が低いとか高いとか、身体が丈夫かどうか、数え上げればキリがありません。すべて人の心が決めることです。優しい思いやりが境界も壁もなくしてくれます。