第五十三話 「このごろ気になること」

第五十三話 「このごろ気になること」

冷暖房設備が完備された何の不足もない筈の私の部屋で、温度調節をしながら、常に快適温度を追求している身勝手な日常生活、自分で設定した室温であるのに、暑いとか、冷え過ぎるとか勝手なことをいっては、クーラーを困らせている。外気を壁で遮断し、部屋は要求通りの適温であるが、私に満足感はないし、ましてや私の涼しさの概念からは、かけ離れている。クーラーなど、なかった頃に育った私にとっての涼しさとは、夏の太陽の下で青々とした枝葉からなる木陰のここちよさなのだ。田舎に住んでいたころ、カンカン照りの中での木陰の涼しさが今はなつかしい。そこには、そよ風が頬をなぞり木陰から一歩でると、ジリジリと肌を焼くギラギラとした太陽が輝いている。熱射にさらされたその場所と木陰には仕切りも壁もない、強い陽射しを遮る枝葉が優しいそよ風に変え、ここちよい涼しさを運んできてくれる自然の恵みの宝庫であった。過ぎ去った映像は美しい記憶として残り、田舎で過ごした子供の頃がなつかしい。山野をかけめぐり、腹ペコになって畑のトマトをもいで食べた。あの香りが今も記憶に残っている。木に登って見渡す景色は広くて遠くて、高くて大将になった気分になれた。走馬灯のように、かけめぐるあの頃の生活は、物不足ではあったが、すべてが自然と同化していて、かけがえのない少年時代の回想録となって鮮やかに蘇る。貧乏だと思っていた過ぎし日の数々をふりかえれば、自然の恵みに囲まれ、楽しい思い出がいっぱいつまった、よき我がふるさとでした。子供のころ日常の些細なことにも、心動かし喜怒哀楽があったのに、まさか歳のせいではあるまいし、感動の度合いが薄れていくのが気にかかる。物あまりと成熟社会での日常生活は、感度が鈍り感激など少なくなるのであろうか、それとも生まれながらの貧乏性からくる私の体質なのか、空腹時の食べ物のおいしさ、満腹時の高級料理への申し訳なさ、充実された生活に慣れきっていく自分がみえる。「楽すれば楽が邪魔して楽ならず楽せぬ楽がずっと楽々」先輩方から教わりました。